連載
#19 「見た目問題」どう向き合う?
真っ白な髪、就活で黒くするべき? アルビノの女性が出した答え
真っ白な髪を持つ、アルビノの女性。就活のときに地毛を黒髪に染めるべきか、悩みがあったと言います。明るい地毛がよくないとされる就職活動にどう向き合ったのか。彼女が出した答えとは。
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#19 「見た目問題」どう向き合う?
真っ白な髪を持つ、アルビノの女性。就活のときに地毛を黒髪に染めるべきか、悩みがあったと言います。明るい地毛がよくないとされる就職活動にどう向き合ったのか。彼女が出した答えとは。
「就職活動では髪の毛の色は黒い方がいい」。そう考える人は多いのではないでしょうか。でも、生まれつき髪の毛が黒くない人たちもいます。アルビノの薮本(やぶもと)舞さんもその1人。真っ白な髪で生まれ、「黒く染めた方がいい」と言われても首を縦に振りませんでした。なぜ地毛にこだわるのか、話を聞きました。
薮本さんに会うために、関西地方に向かいました。待ち合わせ場所に現れた薮本さんは白い肌に、真っ白なロングヘア。白さに憧れる人なら「キレイ!」と言いたくなるかもしれません。でも、白さゆえに、薮本さんは複雑な思いをしてきました。
「小学生のとき、自分の存在がタブー視されていると感じていました。子どもだったら普通、『なんで白いの?』ってなりますよね。でも誰も聞いてこない。特別扱いされていることがわかって、壁を感じていました」
「遠足で、ほかの小学校の子どもたちと一緒になると、『外国人がおるー』ってはやし立てられました。でも、同じ小学校の友達は『それは触れたらあかんことやのに……』って微妙な空気が流れました。みんなに申し訳なくて、いてもたってもいられない気分でした」
中学校でも、タブー視は続きました。薮本さんは「このままではあかん」と、知り合いがほとんどいない遠方の高校に進学することにしました。
「電車を使って、1時間半かけて通学しました。『どうして私は白いのか』と自ら説明すると、タブー視されている感覚はなくなりました。中には『いつも気になってたんやけど、なんでそんな髪色なん?』って話しかけてくれる子もいました。地毛だと伝えると『えー、いいなぁ!』って、うらやましがってくれて。『壁、ない!』『いいんや、これが!?』って驚きました」
ただ、初めてアルビノが生きる上でのハードルになると感じたのも、高校生の時でした。
「周りの友人たちがアルバイトを始めました。私も何社か応募したのですが、すべて不採用でした。ある採用担当者には、バックヤードに連れて行かれ、『あなたの髪の毛が生まれつき白いことはわかりました。だけど、募集しているのは接客業で、仕事中にお客さんにいちいち説明することはできないでしょう』と言われました」
「不採用が続き、こんな髪の色をしているのが悪いと自分を責めました。精神的に不安定になり、2週間ほど入院してしまい、10キロほどやせました」
高校を卒業後、薮本さんは芸術系の大学に入学。「個性の塊のような風土」で、見た目もスキンヘッドの子もいるし、みんな思い思いの服装をしていました。白い髪の毛も特別視されることはありませんでした。
「私の見た目なんて、話題にも上らない。まるで当たり前のことのように。居心地がよかったです。ただ、アルバイトは決まりませんでした」
3年生の秋になると、就職活動が始まります。働いた経験がない薮本さんは不安でいっぱいの中、大学の就職課を訪ねました。
「アート系の仕事に就きたかったので、どういう仕事があるか尋ねたら、『あなたには障害があるから、希望する仕事には就けません』と取り合ってもらえませんでした。『障害』とは(アルビノに伴う)視覚障害を指していたと思いますが、アルビノの見た目も否定されているように感じました」
「就職課に何度か通いましたが、担当者の対応は変わりません。このことがきっかけで、外出する際に、パニックの発作が起きるようになってしまい、一時期、自宅から出るのも困難な状況になりました」
「高校生の時からバイトを落とされ続けてきて、就職課でも『あなたには無理だ』と門前払いされて……。周りの友達も染めていた髪の毛を、就活前に黒く染めていきました。黒髪の集団の中に、白髪の私が入っていくような力は、あのころの私には残っていませんでした」
地毛を否定される体験を繰り返すうちに、薮本さんは「アルビノ同士で集まって、悩みを打ち明けられるような場所をつくりたい」と考えるようになりました。
「私は1人で悩んだけど、アルビノの知り合いがいれば、気持ちを共有することもできるし、『こういう方法や考え方もあるんじゃない?』って話し合うこともできるかなって」
薮本さんはアルビノ当事者と家族の交流を目的とした「アルビノ・ドーナツの会」を2007年に設立。現在は、代表として関西を中心に、学校で講演するほか、「見た目問題相談センター」(一般財団法人八尾市人権協会)の相談員として働いています。
「初めての交流会には、大阪市内に全国から20人ほどが集まりました。アルビノって、こんなにたくさんいるんだと驚きました。10年前に未成年だった子が、大人になった今も交流会に参加してくれています」
「正直、社会人として収入が少ないのは今もコンプレックスです。でも、自分の夢はかなえたと思っています。アルビノ・ドーナツの会を立ち上げ、自分なりの活動を続けることができているので。高校生くらいから『私にしかできないことをして生きていたい』と考えていました」
アルビノは遺伝する可能性があります。結婚や出産についても尋ねました。
「アルビノの子が生まれたとしても、社会的な受け皿があれば、問題はないと考えています。そんな社会をつくりたいと思って活動しています。でも、これはあくまで私個人の考え方です。ほかのアルビノの子たちと出産の話になったとき、『疾患が遺伝してでも生むのはどうなんやろうね』と言う子もいます」
最後に、「髪の色をどんなに周りから否定されても、黒く染めなかったのはなぜですか」と尋ねると、薮本さんはこう言いました。
「社会に対する、私なりの反骨精神なんだと思います。マイノリティーに生まれたゆえに、マジョリティーの常識や圧力に反発を感じてしまうというか……。差別から逃れるために、生まれたままの髪の色を自ら否定するということができませんでした」
「アルビノの人が髪を黒く染めるかどうかは、本人の意思が何より大事だと考えています。だから就職活動のために染めるアルビノの子がいても私は否定しません。自分の精神安定のために黒く染める人もいます」
「一方で、髪の白さが自分らしさだと考えて染めない人もいるし、染めることは自傷行為だと考える人さえいます。少なくとも、社会が『黒く染めろ』と強制するものではないと考えています」
薮本さんが白い髪を理由にバイトの面接で断られたのは、10年以上も前の話です。多様性への寛容度が増していると言われる今、問題は過去の話なのでしょうか? もちろん、アルビノの人たち全員が就職活動で苦労しているわけではないものの、薮本さんは「今もまだ似た事案が起きている」と言います。実際、20代のアルビノの子が髪を理由に不採用になった経験を、私の取材にも語っています。
髪の毛を黒く染める選択肢を選ばなかった薮本さんに対し、「黒く染めない方が悪い」「わがままだ」と批判する人もいるでしょう。
私はそう思いません。「黒髪であるべきだ」と要請し、多様な外見を受け入れない社会の側に問題があると考えています。ましてや薮本さんは、オシャレで染めているわけではありません。白い髪の毛が地毛のアルビノの人たちに、黒髪というマジョリティーのルールをあてはめるのは酷ではないでしょうか。
「客や取引先と接する時、アルビノについて毎回説明するわけにはいかないから」との理屈があります。その場にいない架空の人に責任をおしつけるロジックです。ですが、そもそも客や取引先は髪が黒くない人に対し、嫌悪感を覚えるのでしょうか? 外国人労働者が増えている今、画一的な外見を求める方が、無理があるのではないでしょうか?
「私なりの反骨精神」によって黒く染めないという薮本さんの信念は、私たちが当たり前だと思っている常識を揺さぶる問題提起だと思います。
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